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擇捉〔択捉と表記する文献もあるが、本記事では命名時、その他法令令達上で使用された漢字を用いる。〕 (えとろふ)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の1番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の5番艦。艦名は運送船擇捉丸〔日露戦争時の捕獲汽船アフロダイト号。〕に次いで2代目。 ==艦歴== マル急計画の海防艦甲型、仮称艦名第310号艦として計画。1942年3月23日、大阪鉄工所桜島工場〔大阪鉄工所の社号は1943年3月11日消滅し、日立造船の一部門となる。〕で起工。8月20日、擇捉と命名、本籍を佐世保鎮守府と仮定。 1943年1月29日、進水。5月15日、竣工。本籍を佐世保鎮守府に、役務を佐世保鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。佐世保鎮守府附属に編入。6月1日、南西方面艦隊第一海上護衛隊に編入。同隊北支隊に配され、主として内地-台湾間の護衛に従事。 1944年12月25日、第十二航空艦隊千島方面根拠地隊に編入。舞鶴、大湊、千島方面の護衛に従事。 1945年4月10日、大湊警備府第百四戦隊に編入。北海道、千島方面の護衛に従事。終戦を稚内で迎える。10月5日、帝国海防艦籍から除籍。10月12日、帝国艦船特別輸送艦と呼称され復員輸送に従事。12月1日、佐世保地方復員局所管の特別輸送艦に定められる。 1946年12月30日、特別保管艦に指定される。 1947年8月5日、特別輸送艦の定めを解かれ、賠償艦としてアメリカ合衆国軍へ引き渡された。9月7日から10月13日にかけて播磨造船所呉船渠で解体された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「擇捉 (海防艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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